寺崎地区の現状
寺崎(千葉県山武市寺崎)は、
北緯 35度36分41.52秒、
東経140度26分9.97秒
(寺崎地区の中央に位置している八幡神社の位置)
にあり、標高は5.8メートル、九十九里海岸から直線距離で7.5キロメートルである。
ご覧のように北西側は自然がいっぱいの海抜30m~47m前後の下総台地、台地を降りたところに国道126号が旧道と昭和30年代に開通したバイパスからなる2本の道路が通っており、その旧道の両側に‘岡寺崎’と呼ぶ集落がある。そこから南東側500メートル程の所にJR総武本線が通っており、そこまではさえぎるもののない田園風景である。更に、総武本線南東側に‘沖寺崎’と呼ぶ集落がある。昭和20年代迄は、区民が暮らす集落はこの岡寺崎と沖寺崎であった。江戸時代末期の戸数は四十戸であったそうである。その集落から更に南東方向700メートルにかけて広々とした田園地帯が広がり、南東側の村境に‘日の出’と呼ぶ三つ目の集落が昭和30年代以降に出来上がった。
江戸時代後期において寺崎は、徳川幕府直轄の天領(御料所)で、石高(こくだか)は387石(米約1千俵≒1000アール)、旗本2、代官1が地頭(じとう)であったと、松尾太田藩の記録にある。この旗本の内の一人がTVドラマでお馴染みの‘鬼平’こと「長谷川平蔵」のおじさんに当たる旗本の長谷川修理であった。 現在、寺崎の農用地の広さは、田3845アール、畑117アールであるから約4倍以上にまで開拓されたことになる。
寺崎には川がないので、洪水などの心配はないが、昔は農地への水の確保が大変で、戸田地区にある境川の堰から分流した水が
野堀⇒島戸⇒真行寺⇒新泉⇒富田⇒
を経て道路沿いの側溝を流れ下った貰い水を用いていた。
現在は両総用水を引き入れて干ばつなどの被害から解放されている。
また、北西側の台地はしばしば大雨や地震でがけ崩れを起こしていた。そのため、がけ下は急傾斜地崩壊危険地帯である。
住所表示としては「千葉県山武市寺崎(〒289-1318)」で統一されている。しかしながら、番地の表現は土地改良の際に、新たに決められた地番(寺崎ト-9999)を使うことが原則であるが、知人への住所変更が煩わしいので昔からの番地での表現も許されている。
なお、昔は番地の代わりに小字の名称と屋号で土地や家の場所を識別していた。
民家のある所は、岡寺崎が「八千代」、沖寺崎が「鶴舞」という縁起の良い名称がつけられていた。日の出の集落が出来たのは昭和30年代頃からであるので、特別な小字の名称はない。
農地なども含めてもともとから付けられていた小字の名称は画像の通りである。